農業科学技術物語 戻る

−百年をみつめ21世紀を考える−

農業試験研究一世紀記念出版 監修 川島良一

農林水産技術情報協会 発行 1993-11-17

農山漁村文化協会(農文協)発売 1950円

 

 

九.手作業の精度を機械で実現       P132-142

   −汗から解放した農業機械(メカトロニクス)−

                小中俊雄

 わが国の農業の機械化は近年急速に進み、世界でも最も機械化、装置化が進んでいるといわれています。機械化の程度を示すのによく用いられる耕地面積1ヘクタール当たりのトラクター馬力についてみますと、日本は約10馬力で、アメリカの7倍にも達しています。しかしながら農業の経営規模はわが国の1戸当たり耕地約1ヘクタールに対し、アメリカは約70倍であるので、1農家当たりのトラクター馬力は日本はアメリカの10分の1以下であり、日本の農業機械化の特徴は小型集約型であるといえましょう。

 

◆「第二次世界大戦前の農業機械」−牛馬耕から耕耘機へ−

 わが国における農業機械の普及の歴史をみますと、第二次世界大戦終戦[1945(昭20)年]前、大戦直後および高度成長時代[1960(昭35)年以降]の3期に大別することができます(図1)。

 牛馬耕が中心であった終戦前の1940(昭15)年頃には、耕うん機など圃場で移動しながら作業する機械は、皆無であった。定置型の機械である動力脱穀機や籾摺り機のような収穫後の機械が、約30万台も使用されていました。またその動力源としてモーターや石油発動機が用いられていましたが、その所有者は主として大農家や請負業者でした。

「終戦直後の農業機械」

 戦後の農地解放により農家の大部分は自作農となり、増産技術の導入を積極的に行うようになりました。その結果、耕うん機や動力噴霧機を中心に急激に普及することとなり、特に一九五O(昭二十五)年頃、アメリカより導入されたメリーティラー(小型耕うん機)は、畜力用和犂をトラクター用に改良した双用和犂をアタッチメント(附属作業機)として耕うん作業に、また簡易トレーラーをセットし運搬作業用として、爆発的な普及をみました。これらの歩行型トラクターは一九五五(昭三十)年には約8万台の普及でしかありませんでしたが、一九六七(昭四十二)年には300万台以上普及し、わが国の農業機械化の歴史のなかで最も急激な増加率を示しました。これらの動力源は、モーターや低速の石油発動機から次第に中高速の石油発動機、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジンなどに代わっていった。かつての主役であった牛や馬からわが国の水稲作の主役は、歩行型トラクターにゆずられ、とくに耕うん作業や運搬作業では完全に汗から解放されました。

◆「高度成長期の農業機械」−機械化農業の時代へ−

 一九六O(昭三十五)年頃からの十年間は、いわゆるわが国経済の高度成長期であり、農業においても規模の拡大、果樹、畜産の選択的導入などを図り、農業機械分野においても、海外から大型トラクターや大型コンバインの導入が行われました。機械化が遅れていた水稲作の田植えや収穫について、官民の研究者や技術者が総力をあげて田植機や収穫機の開発を進めました。その結果、動力バインダー、自脱型コンバイン、動力田植機などわが国独自の機械がつぎつぎと開発され、急速に普及していきました。このことによって水稲作における農作業は、全部機械化されたことになりました。

 田植面積の94%は田植機で、収穫面積の97%は、バインダーや自脱コンバインで行われ、苦しい農作業から楽しい農作業へと変りました。

◆「田植機」−発想の大転換で田植の機械化−

 泥の中で腰をまげて苗を植える田植作業は、米作りのなかで最もきつい仕事の1つであったので、自動的に植えつけてくれる機械を開発しようと数十年前から多くの人が努力してきました。

 はじめのころには、田植の機械化はあまりにもむずかしいので、直播き(直接、種籾を水田にまいて、移植をしない方法、アメリカでの行われている米作り)の研究を重視すべきであるということで、田植と直播きの両方の研究を続けたときもありました。

 今から三十数年前の昭和三十年ごろ、すでに民間の発明者(二反田氏ほか)の方によって、田植機の原形にあたるものが発明、試作されていました。それは、ブリキ細工でお世辞にもスマートな機械ではありませんでしたが、細い板ではさむ形の回転する植え付け部に3〜4本ずつに手分けされた苗をセットすると自動的に苗をつかみ土の中へ植え付けていくものでした。テストした結果は、ちゃんと植え付けられる苗は約半分であり、苗をセットするのは、いぜんとして人手によるものでした。

 昭和四十年代になって、長い間の努力がみのり、実用的な田植機が開発され、きつい田植え作業から解放されました。

 現在の田植機は、図2のように、苗マットを乗せて、それを植付け爪で小さく切り離して土に中に植え込んで行くもので、まるでロボットのような指ですごいスピードで植えていく様子は、テレビのニュースなどでよく見かけるようになりました。

 このような田植機が開発されたきっかけは、従来から行われていた田植作業をそのままの形で機械に置き替えるのではなく、苗を箱の中でマット状に育成して、土がついたままの苗を泥の中に落とし込むように植えつけるという発想の大転換によるものでありました。

 今では、乗用型の田植機も多く用いられ、水田の中に一歩も足を踏み入れなくても田植えができるようになりました。また、運転操作も楽にできるようになり、たんぼが凸凹していても植えつける深さは一定になるように自動化されており、苗が足りなくなりそうなときには、赤ランプがついたりブザーがなって知らせるようになっており、誰でも楽に作業ができるようになりました。

◆「コンピュ−タ制御を駆使するコンバイン」

 鎌で稲を刈取る作業も、長時間腰を曲げて仕事をする大変な重労働でありましたが、バインダー(刈取って結束する機械)やコンバイン(刈取り、脱穀、稲粒とわらの選別を一度に行って収穫する大型の機械)が開発されて、今では運転席に座ったままで稲の収穫ができるようになりました。(図3)

 初期のコンバインは、刈取り高さや走行速度の調節など運転操作がむずかしい機械でありましたが、メカトロニクス(機械とコンピュ−タなどの技術が結合されたもの)の導入によりそれらが自動化されて楽に運転できるようになりました。

 刈取り高さの自動調節は、刈取り部に上下に動く「そり」を取り付けて地表面に接触させて運転すると、刈取り高さが高くなると地表面との距離が大きくなるので「そり」が下方に動き、逆に刈り取高さが低くなると地表面が近くなるので「そり」が上方に動く。この「そり」(このように上下の位置を検出するものを位置センサーとよぶ)の動きをコンピュ−タに知らせると刈取り部を支持している油圧シリンダー(油圧の力で伸び縮みする棒)に指示をだして適当な刈高さになるように制御します。

 同じように、左右のハンドル操作についても、分草板の横に後向きの触手アンテナが取り付けられ、稲株の列を刈り取っていくときにコンバインが左にずれると触手アンテナが稲株により右に押され、コンバインが右にずれると触手アンテナが左に押されて、コンバインが稲株に対して左右にどれだけずれたかということをコンピュ−タに知らせる。これらの信号を受け取ったコンピュ−タは、適当な左右方向にコンバインが向くように、左右の走行部のクラッチ(履帯車軸を動かす力を伝えたり切ったりする装置)を制御して適正な方向に向けるようになっている。

 また、こぎ胴に送られて稲束の量が多すぎるとこぎ胴を動かす動力が大きくなりすぎてついにはエンジンが止まってしまいます。そこで、こぎ胴を動かすのに必要なトルク(回転させようとする力)をストレンゲージ(大きな力が加わると歪が大きくなり電気抵抗が大きくなる検出装置)により検出してコンピュ−タに知らせる。それを受けたコンピュ−タは、こぎ胴の負荷を調節するためにコンバインの走行速度を変化して送られてくる稲束の量を調節する。すなわち、こぎ胴の負荷が大きくなったら走行速度をおそくし刈り取って送り込む稲束の量を減らすことによって負荷を小さくできる。このような調節を絶え間なく行うことで、コンバインは適当なこぎ量を保ちながら、エンジンにむりのない運転が自動的に行われる。

 さらにこれらの自動調節装置を、一枚のたんぼ全体を作業するように、前もってコンピュ−タにプログラムを組み込んでおくと、稲の刈取り作業を無人運転で行なうこともできます。

 コンバインで収穫されたあとは、大きな共同乾燥調製プラント(カントリエレベータやライスセンター)に送られて、籾あるいは玄米までいっきに処理できるようになりました。

 

 

◆自動化、人工生産装置の登場−「果物の選果場」−

米などのほかに、果樹そ菜についても、圃場での作業の機械化が進められています。とくに収穫後から出荷までの作業については、りんごやみかんの選果場ができて、果物の収穫後の作業は大きく変りました。今では、りんごは重さ別に、みかんは大きさ別に大きい方から3L,2L,L,M,S,2S,3S,など自動的に選別され、色をコンピュータで判別して、熟したものと未熟なものをえり分けて箱づめされるようになり、市場へ出荷されている。

「野菜・植物工場」

 人工光線などを使って屋内で栽培した野菜がスーパーマーケットで販売されるようになって数年たちました。

 いわゆる野菜工場あるいは植物工場は、自然の風雨にさらされない建物の中で、電灯光線、ヒーター、肥料、水、空気などを供給する装置を使って、光、温度、湿度、炭酸ガス、肥料養分などをコンピュ−タを用いて人工的に調節して野菜などを栽培するプラント(大きくて多くの機械装置をもつ施設)であります。

 季節にとらわれず、清浄な野菜が、均一な品質で、少ない人力作業で、大量に生産できるので、露地野菜(従来のように屋外の畑で栽培した野菜)より高価ではあるが、都市近郊などのスーパーマーケットでは、今後ますます増加するものと思われます。

「ガントリー・これからの農業機械」

 わが国の最重要作物も米についても、屋外の工場生産方式で栽培できないものであろうかと、農林水産省の試験場で研究が続けられています。それは、水田の両辺部にレールを敷いてその上にガントリーといわれる枠台車の下部に耕うん機械(土を細かく砕く機械)、田植機械、薬剤散布機械、刈取り収穫機械を取り付けられるようになっていて、屋内の運転室でコンピュ−タの助けを借りながら自動的に米作りを行なう大きな装置であります。

 このガントリー装置は、通常の農作業を行なうトラクタが交通手段における自動車とするならば、電車に対応するものと考えられ、大面積で多量の米作りを少ない人間で生産するに適した方法といえますが、装置が大がかりでその製作設備費が膨大になるので現状では実用段階に至っておりません。

 しかしながら、初期設備費が高くつく問題さえ解決されれば、大面積を24時間無人運転が可能で、作業内容も均一で高度なレベルで行なうことができ、農作物生産体系を飛躍的に改善できる可能性を秘めていると思われます。

◆物の豊かさ、心の豊かさを目指す農業情報活用−「農業ソフトウェアや通信」−

 農業におけるコンピュ−タの活躍の場はこれまでに述べた機械装置の運転や制御を行なうハードウェア(機械など金物)だけではありません。

 農業経営をうまく運営するための情報を整理して支援するソフトウェア(ハードウェアに対して形に表わされない情報やプログラムのこと:やわ物)の分野でのコンピュ−タの働きもめざましいものがあります。

 どのような作物を栽培すればよいか農作業をどのように計画すればよいか、どのどのような機械を購入すればよいかなどについて、各農家の実情に合わせて参考になる指示を与える農業経営支援システムとよばれる農業用ソフトウェアが多数用いられるようになりました。

 また、市場価格などの情報を通信によってキャッチして、その情報に基づいてその日の野菜や果物の出荷量をコントロールして全体としての利益を大きくしようとすることにもコンピュ−タは中心的役割りを果たしています。

 さらに、パソコン通信などによる情報交換の場は、単にもうけるという金銭的なことだけではなく、農業者どうしの日常生活のことや村祭りなどの農村文化の情報交換によって物の豊かさだけでなく心の豊かさに大きく寄与する物と考えられます。

◆農業機械に託す夢−「宇宙農業」−

 また、将来の夢物語として、宇宙空間の人工衛星や月や火星で人間が生活するようになるときに、地球上とは異なる条件の気象や土壌や空間において、どのようにして作物を生産し、どのような方法によって酸素を供給するかという宇宙農業の技術の開発が着々と進められています。閉鎖空間における植物栽培と人間生活の実験などがその一例でありましょう。

 このように、わが国の水稲作の機械化はほぼ完成されたといわれていますが、今後さらに機械の安全性、操作性などの向上が望まれています。

 農業機械全般の今後の動向としては、マイコンを中心とするメカトロニクス技術の導入により、自動化、ロボット化が行われ、高度の農作業、例えば完熟したトマトを色や触感で判別しながら収穫する機械などが近い将来実用化されると思います。一方、ハウス園芸作物など集約度の高いものについては、装置化、システム化が進み、いわゆるコンピューター野菜工場のように一貫した自動システムが普及し、トラクター農法に対応して装置農法が定着化するものと考えられます。

(こなか としお 筑波大学教授)

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